うたたね


三十路オーバーの世界一周旅行日記、タイトルは唄の種の略
by hiro5159
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カテゴリ:ネパール( 10 )

怒りのリキシャにブッダまげて

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”ルンビニゲストハウス”を出てメインバザールを抜ける。
イメージ的には西部劇で対決時に枯れ葉が”ヒュルリ~”ってな感じだ。
いい意味で”寂れた感じ”。
朝7時でも店は開いてはいるが、ほぼ開店休業状態。
野犬は朝から我が者顔で吠えまくり、山羊はベンチを陣取り横になる。そしてその横を牛が”ヌ~ッ”と歩く。
人間よりも動植物の方が生き生きとしていた。

”ブッダ”が生まれた村だ。

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”マハーボディ寺院”に着くと、客は僕とインド人学生だけだった。
守衛のおっちゃんも暇を持て余しているのか、カメラについての注意を促した後、「どこから来たの?」と世間話が始まる。

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鳥の鳴き声と、風の音しか聞こえない…。
仏教の生まれ故郷として全てが”しっくり”くるこの落ち着いた雰囲気。
サーラの樹の下で涼みながら沐浴池と遺跡をしばし眺めた。

もうココは「インド」につながる”タライ平野”の村。
「インド」の湿気をまとった酷暑が再開していた。
とにかくメッチャ暑いのだ。

生まれて間もなく7歩歩いて、「天上天下唯我独尊」を唱えたブッダ。
僕は余りの暑さで
「炎上せんか今にも泣きそう」…と想う…

”ストライキ”の都合で国境までのバスは今日も出ないことが先ほど判明。(とは言ってもいたって平和だが…)
宿でタクシーを頼もうとするとこちらも同じく不通だった。
昨日は出るって言ってたのに…涙

”ナラヤン”に「インド」は”ゴーラクプル”からの列車を既に手配してもらっており、本日夕方5時の便。
…急がなくては。
昨日と同じ”サイクルリキシャ”と事になると早めに出たほうが良い。
10時にチェックアウトしてリキシャ乗り場へ。

流石に”スト”での異例事態。バスもタクシーも出ないとなると、”リキシャワーラー達”は寄ってたかって僕の足元をみてきた。皆、”組合規定料金”かの様に600ネパールルピー(960円)から下げようとはしない。今日ばかりは”振り切ってバイバイのフリ”をする余裕もなく、時間もないので手を打った。
リキシャ様様なのだ。
すると交渉してたおっちゃんとは違う別の若いリキシャが準備しだした。
これは本当に裏で料金の口裏を合わせているのでは??…という行動だった。

昨日同様、80㌔の重量で22㌔の距離を走る羽目に。

((昨日の様に、バス停までが2時間かかるとして、国境の”スノウリ”まではプラス30分。そこから両国の”イミグレ”を済ませて、「インド」入国。その後”ゴーラクプル”までのバスが直ぐに捕まれば良いが…しかもインドバス、3時間と聞いてはいるが、遅れるのは必至だ…))
…とか何とかウダウダ考えていると、後ろから乗用車が3台並んで向かってきた。
タクシーかどうかなんて分からなかったが、昨日の夜から乗用車など1台も見ていなかったので、思わず「ヘイ、タクシー!?」と叫んでしまった。
すると3台目が止まる。
「ボーダー!」と言うと、どうやら行ってくれる様だ。
タクシーの相場は700ネパールルピー(1120円)と聞いていたので、この”リキシャ”よりは時間的にも効率は良い。(それでも”スト”により足元をみられ、800ネパールルピー(1280円)となってしまった…)

正味5分程度の走行だったが、乗り換えた手前”リキシャ”に対しての罪悪感があり、100ネパールルピーを差し出した(相場では10ぐらいのものだ)…その時だった

「ノーッ!!!!」
と”リキシャワーラー”は瞬間的に怒りだす。
「それっぽっちじゃダメだ、300よこせ!」と怒鳴ってくる。
「300なんて有り得ないよ、たった5分しか走ってないでしょ?」と僕が言うと、更にヒートアップ。
ヒンドゥー語で僕や、タクシー運ちゃんに必至に何かを訴えだす。
彼の怒鳴り声に通りすがりの人も立ち止まりだした。
僕は再度、夕方5時の列車のチケットを見せて、「こういう訳だし、真ん中の200でどう?」と渡そうとするが、全く受け取る気配がなく、”帰れ”という”ジェスチャー”をするので、さすがに腹が立ってきてタクシーに乗り込んだ。
「もういいよ、行こう」と僕が言うと、今度は運転席の横に立って怒鳴り散らす。
今度はタクの運ちゃんとの言い合いになった。
もう時間もなかったので、しょうがなく250を差し出すと、それを手にとっても未だ収まらない怒りを抱えて帰っていった。

タクシーが走り出すと、寂しい気持ちになった。
「楽しかった、ネパールの最後がこれとは…」
僕だって、”ルンビニ”往復で予想外の大きな交通費が手痛い出費となり、結構辛いんだよ…
そして、何故あそこまで怒ったのだろうと考えた。
僕は僕で時間が無かったとはいえ、失礼な事をしたのかもしれない。
タクシーを見つけるなり、いとも簡単に乗り換えて「はい、さよなら」は確かに失礼だ。大きな仕事を手にしたであろう、リキシャの気持ちを簡単に踏みにじってしまった。
更に、タクシーへの乗り換えが彼をあそこまで怒らせたのではないかとも考えた。
”カースト制度”によってランク付けされ、仕事を選ぶ自由の無い彼は生まれながらにして”リキシャ”なのだ。同じ距離をタクシーで軽々走るのも、汗かいて必至にペダルを漕ぐのもほとんど同じ稼ぎだとしたら、そんな不条理に納得いくのだろうか。
リキシャの前でタクシーと堂々と交渉した自分も少し節度がなかったのかもしれない。

無事にボーダーを抜ける(インド側のイミグレが普通に商店の中に並んでいたので一旦通り過ぎてしまったが…苦笑)と既にバスがエンジンを吹かしていた。
直ぐに乗り込み、11時15分の出発を待ったが、結局1時間後の12時に出発。相変わらず定刻を過ぎても客をギュウギュウに詰め込むまで出発しないバスにちょっとイライラ。
そして世にも珍しい2度のパンクを経て(30分ずつ待った)駅に到着した時は午後4時前だった。

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結果的に5時の列車を前に最高のタイミングで駅に到着できた。

ここからこの旅3度目となる”デリー”まで783kmの大移動。
”ナラヤン”が手配してくれた”ヴァイシャリーエキスプレス”のクラス”2A”は”エアコン付き2段寝台”。
酷暑の中、扇風機のみで3段寝台ばかりのインドの旅。
これきり…言ってしまえばもう一生インドの列車には乗らないかもしれない。
それならばと、最後はインドでもほんの一握りの”裕福な階級の人”御用達の”コーチ”にでも乗ってみようと思ったのだ。

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これは本当に快適だった。
3段ベッドよりもスペースがある分、ベッドに座っても頭をぶつける心配も無く、横幅も少し広め。
”コンパートメント”とまではいかないが、通路に対してカーテンを敷くことが出来た。毛布と枕とシーツ、そして何故かタオルまで支給され、読書灯も付いている。
そして何よりも嬉しいのはやっぱりエアコン。
移動中とはいえ、空調の効いた空間のベッドで横になると、1ヶ月いたインドの全ての移動…嫌、全ての宿を入れても1番寝心地が良かった。

外からは中の様子が見れなくなっている”スモークガラス”の奥で、裕福な彼らは携帯でビジネスの話をしたり、経済新聞を読んだりと、余裕に溢れているように感じた。
挨拶をしても”にこやかな笑顔”で答えてくれる。

しかし、”チャイの売り子”に対しての横柄な態度をみると、途端に僕は冷めてしまった。ヒンドゥー語がわからなくても、彼らが”チャイ売り”に対して、明らかに”上からモノを言っている”のがわかる。見下した目線。そして”チャイ売り”は必要以上に”へりくだって”いた。

”カースト”の上下関係を見せられ、今朝の”リキシャワーラー”を思い出す。
走り出し、名前を聞いた時の清清しい笑顔と、豹変し怒鳴っているときの顔を…。
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by hiro5159 | 2008-07-17 00:28 | ネパール

80キロを22キロ

”何もない1日”を作る予定だったが、結局忙しく観光してしまった”ポタラ”。
丸1日、休憩室でスタッフとテレビ見たり、キッチンで飯作ったり、”マッタリ”したかったがともかく今日発たなければいけない。

6時に”マダブ”にバス停まで送ってもらった。
「ダッテ、ヒロさん次イツクルノ~~?」とか「サミシイ。ダカラサー、21日(何故?)にメール送るから、送って」とか言ってくれて、やっぱり僕も寂しかった。
彼とは毎日話していたが、彼が”日本語”で話し、僕が”英語”で答えるという、奇妙な会話が面白かった。

しかし6時半発のバスがなかなか来ない。
待っててもらうのも申し訳ないので、チャイを飲んだ後、”ハグ”して別れる。

遅れて7時に来たバスに荷物を載せるが、まだまだ出発しない。
乗っているのはチベット僧侶と、日本人”コウタくん”と僕だけ。
しばらくすると、添乗員が乗ってきて、「このバスでないから、荷物降ろして。別のバス来るから」と言う。
事前に取ったこの”スノウリ”行きのツーリストバス。
どうも、人が集まらなかったからの様な気がする…。

結局、8時半にローカルバスで出発した、「インド」国境”スノウリ行き”のバス。
日本人が3人いたのだが、誰とも話したくない気分の僕は少し避け気味だったかもしれない。
今日の別れが少し寂しくて、今は人と話す気分じゃなかった。
少し体調も悪かったのもあるが。

バスは9時間かけて、スノウリボーダー4km手前の”バイラワ”に到着。
そこからひとり”ルンビニ”へ向かった。
ブッダの生まれた街です。

最近”学生ストライキ”があったらしく、ローカルバスが運休していた。
今日は朝からその話は聞いていたので、色んな人に「大丈夫かな?」と聞いてみたが、皆小さいストだから問題ないと言うので向かってみる事にしたのだ。
そもそも何もない小さな村だから大丈夫な気がしていたのと、”ナラヤン”が昨日かなり薦めてくれたのが、後押ししていた。

リキシャでバス停まで向かうと「refuge(避難)」と言って関係者はみなトランプをしている。
明日は「出るよ」と言うので、僕は安全性を感じて向かってみることに。
そこで足なのだが、ここまで連れて来てもらった”リキシャ”が名乗り出てきた。
「だって22kmだよ!?」
そう”ルンビニー”は”バイラワ”から西へ22kmの町なのだ。

僕の荷物が30kg。計80kgを自転車で運ぶという彼に戸惑う。
「いくら?」と聞くと、「800ネパールルピー(1280円)」と彼は言う。
いやいや、いくらなんでも高すぎる。
となりのタクシーに聞いてみると「700ネパールルピー」だと言うではないか。
それを聞いていた”リキシャ”に再度聞くと今度は「600ネパールルピー」。
そこへ別の”リキシャ”が現れたので、ふたりで対決させる事に。
右のリキシャに「キミはいくら?」そして左のリキシャに「キミはいくら?」
と順番に聞き、新参リキシャが400ネパールルピー(640円)まで下げてきた。僕にとってはまだまだ高いが、タクシーは700から下げようとしないので、新しく来た方のリキシャに「ゴメン、彼にここまで送ってもらったから、彼にする」と言って、結局最初の”リキシャ”に400ネパールルピーで乗っかった。
少し高いけど、武生~福井間を自転車で行かせると思うとそんなに抵抗は無いよ。
しかし、”2人のリキシャを天秤にかける”なんて旅の技術というか、”ずる賢さ”みたいのは自然に身につくものだ。

陽もくれ始めた夕暮れ時。走り出した”リキシャ”はひたすら真っ直ぐ田舎道を走った。田園風景にネパール女性のライスワーク姿が映る。
無邪気にはしゃぐ子供達は「ハロー」「ナマステー」と声をかけてくれ、水牛が”ツン”とした表情で横切り、山羊達は時折寝転がりながら夕食を食べていた。

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空が赤く染まりだすと、また親父が僕の中に現れる。
最近は良い景色に巡りあうと、いつも親父と一緒に見ていた。
既に亡くなった親父は20代から病気がちでやりたい事を沢山我慢してきたと思う。
ひたすら長く、辛い闘病生活の末亡くなった親父は死んだ時からいつも僕の視界を通して景色を眺めているのだ。
それは僕の心の中に今もいるから。
「どうこの景色?」
なんて聞いてみると笑い顔がハッキリと浮かんで涙がこぼれた。

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”ストロングリキシャー”は僕の「休憩しよう」と言う誘いには一切答えず、2時間かけて”ルンビニ”に連れて行ってくれた。
夜8時。もうとっくに日も暮れあたりは闇に包まれている。
ケツが痛いなんて彼の前では決して言えない…。

”スト”の気配など微塵もなく、”ルンビニ”はホントに何も無い静かな村だ。
メインバザールで最初に目に付いた宿に泊まることにした。
明日は早朝観光して直ぐに発つつもりだ。
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by hiro5159 | 2008-07-16 17:28 | ネパール

今を生きれば

早朝6時。
”インドラ”が起こしてくれる。
「少し、ヒマラヤが見えるよ」
飛び起きて、昨日のサッカーグラウンドへ。

う~ん、際どかった。
視界全面を白い靄と雲が覆い、その隙間に一瞬ヒマラヤの欠片が見えた…気がした…。
これでは写真は撮れない。

”インドラ”に「今度はハイシーズンに来るよ」と感謝の後付け加える。
そう、楽しみはとっておけばいい。
ここ「ネパール」には再び来ようと何故か昨日決めていた。

”サハラ釣り”や、”ヒマラヤ”のリベンジは勿論あるが、それ以前に良い出会いがあったと思えたから。再会しようと心に決めていた。

朝はゆっくりと3杯のチャイで眠気を覚まし、3兄弟と”ジャンケン”&”指スマ”勝負する。
あんなに盛り上がるとは思わなかった。
数分後、教えた僕が1番弱い事が判明。
長男ジバン超強いし。

ちなみにこの国には”ジャンケンポン”は無かった。
競争文化がないのかな。
僕が”ナラヤン”を「オーナー」と呼んだ時、「ホテルのスタッフは皆オーナーだから、”ナラヤン”で良いよ」と言われた。
上下関係のない、アットホームな雰囲気な訳だ。

別れ際。”ネトラ”が「今度はいつ来るの?」と聞いてくれた。
「分からないけど、毎年来たいよ」と答えた。
英語が苦手な僕には、こういう時の英語は想像力が働く分ダイレクトな日本語よりも深く心に響いた。

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別の道から宿へ。
道中”インドラ”は昨日の”大人しさ”はなんだったの?
と言わんばかりに良く喋った。
帰りなのに最初は登り道が多く、冗談を言いながら5時間かけて宿に到着。

宿に着いて休息を取り、夜は”マダブ”と食事後、”ナラヤン”の経営するトラベル・エージェンシーに遊びに行く。

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ネットとワインをご馳走してくれ、その後”ダンスホール”へ。
ポタラ版2次会だ。
ステージではセクシーな服を着た女の子が次々と踊る。
「ネパールダンスだよ」と”ナラヤン”が説明してくれたが、工藤静香の「嵐の素顔」で出てくる手の振りが良く出てきた。
店に入る前に”ナラヤン”が
”お酒を頼むと高くつくから、コーラ1本を3人でシェアしよう作戦”を立て実行。
30分ぐらいで、ウェイトレス2人のチップ込みで160ネパールルピー(256円)で楽しめた。
「奢るよ」と言ってくれたが、割り勘にして貰った。

帰りはスーパーで、ワインとポテチを買って宿へ。
”クリシュナ”と”ナラヤンの従兄弟”を混ぜて、5人でお酒を飲む。
僕は少し酔って歌いたくなった。
ギターで即興の”セレスティの歌”を歌った。
こんなに人に聞いて欲しいと思ったのは久しぶりの事だったが、この宿の人間には是非聞いて貰いたいと思った。
僕が僕らしい瞬間を分かちあいたかった。

ポタラ最後の日の夜。
皆食事を僕と取るために待っていてくれた。
”ダル・バート”を5人で食べ終わると、深夜1時を過ぎていた。
今日は5時起きでバス停へ行くのだが、「もう眠らなくてもいいや」と思っていた。
”ナラヤン”の言葉が頭をよぎる。

「Tommrrow is dark. Today is important.」

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by hiro5159 | 2008-07-15 17:17 | ネパール

スローな雨季にしてくれ

トレッキングで、宿のオーナー”ナラヤン”の親戚が住む、村へ向かう。
雨季の「ネパール」。
未だ”ヒマラヤ”を望めてない。少しでも近づいてみるのだ。

ガイドは”インドラ”。
この宿の関係者は”クリシュナ”やら皆神様の名前を語る。

ガイド料をケチった為、バス移動で登山口まで向かった。
3つのバスを乗り継いで、麓の村へ到着。

ここから3時間のトレッキングが始まった。
”インドラ”は恐ろしく寡黙な男だったが、僕を先に歩かせてくれてた。
僕の歩幅に合わせてくれる優しい男だ。

登山道はそんなに険しくなく、”日野山”や”鬼ヶ岳”の方がいくらかキツイと思った。
しかし景色は相変わらずの絶景。
眼下には”ライステラス”が山肌を埋め尽くし、緑豊かな山道沿いにはトウモロコシ畑が並ぶ。

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日本と変わらない景色に心も穏やかになっていく。
時折、牛の餌用の草類やトウモロコシを背中にどっさり担いだ村人とすれ違うと、”ここは「ネパール」なんだ”と実感しながら歩いていた。

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3時間のトレッキングはあっという間に終わり、”アスタナ村”へと到着。
村の入り口には今日泊めてもらう少しシャイな”ブーワン”が待っていた。

村の人々は皆開放感に溢れ、皆「ナマステー」と両手を合わせてくれる。
閉鎖的な雰囲気だと思っていたけど、トレッキングで訪問は頻繁にあるのだろう。
フレンドリーな雰囲気で良かった。

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トウモロコシ畑を通り過ぎ、「トトロ」に出てきそうな小道を進むと、お世話になる”アディカリ家”に着いた。

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5人家族と、牛2頭、山羊6匹の大家族は究極のスローライフを送っていた。
飼っている牛の乳で作った”チャイ”を飲み、畑で取れたジャガイモや、カリフラワーで作った”ダル・バート”をご馳走してくれた。もちろん米も自作。

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今日は日曜日で、登山口にある村の寮から学校に通っている長男”ジバン”と次女”シャンティ”も帰ってきていて、賑やかだ。

手ぶらの僕は、ノートを正方形に切って、折り紙で鶴と花をプレゼント。

歩くと丘の上にはグランドがあり、サッカーで遊ぶ子供達。
この国ではよく見る風景。
そして皆写真が大好き。
カメラを向けるとハシャグと言うか発狂しだす。

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久しぶりのサッカーはキツかった。
汗ダクで、なんとか1点をゲット(というか取らせて貰った)し、隠居する事に。

家に帰ると雨も強くなってきた。

19時には恒例の停電が始まり、21時の復帰を待ったが、そのまま今日は復活しなかった。
オイル灯の明かりで、”ダル・バート”をご馳走になり、庭先で一服していると蛍が飛んでいる。
お父さんの”ネトラ”と暗闇(もう真っ暗)の中で話する。
家を守る”主夫”として頑張っている彼。
街でお金を貯めて念願の”今の生活”を実現したらしい。
”タラ”は稼ぎ頭のお母さん。近くのゲストハウスで働いている。
すると”ネトラ”の携帯が鳴った。
出ると僕にと渡される。
受話器の向こうからは宿のオーナー”ナラヤン”の声が。
心配でかけてくれたらしい。「どう、そっちは?楽しい??」みたいな事を言われているのだが、電話の英語はさっぱり理解できなかった。
けど、彼の優しさは十分に伝わってきた。

夜11時。
真っ暗の中、眠気を催すのも早かった。
ちなみにいつもは夜9時には床に就くらしい。

日本では夜でも暗闇を探す方が難しいのに、ここでは太陽が落ちると容赦ない闇が待っていた。
自然と共存するというシンプルな生活スタイルは、スゴク素敵で羨ましいが、沢山の”不便”も隣り合わせ。
この生活に踏み切った”ネトラ”がとても頼もしく思えた。
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by hiro5159 | 2008-07-14 21:43 | ネパール

釣り吉ひろし

午前4時。外の闇はまだ明けておらず、雨がシトシトと降っている。
実は久しぶりの釣りの為の早起き。
”ヒマラヤ”の水が注ぐ”ペワ湖”へフィッシングだ。
食用で、ゲームフィッシュとしても名が知れた”サハラ”を狙う。
大きいもので、50kg~90kgと言うからテンションも上がり調子。

先ずは日本語堪能スタッフ”マダブ”と雨会議。
昨日釣りの一式を借りてしまったのでレンタル時間内にやってしまおうと言う事になり、結局、雨の中手漕ぎボートでポイントへ行く事に。

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既にボートは水浸し。”カンカン”で、ボート内の水をすくいながら進んだ。
「おいおい、今は”タイタニック”なんて”おちゃらけて”られないぜ」
ホントに沈んだら洒落になりません…。

ポイントに到着しても一向に雨は止まない。
傘をさしながら、”シンク”を探す。
久しぶりに竿を振った…”シュルルルルッ”…”ポチャ”…爽快だっ!!

ショップでレンタルしたのは、コイを釣る時の仕掛けらしく”MADE in JAPAN”と書いてあった。
しかし、どう考えても僕の体重程もある大物なんて引き上げられそうも無いヤワイ作りだ。(←当たり前だ)

更に、”ウキ”も無いので直ぐに”根掛かり”を起こす。なかなか落ち着かない釣りになってきた…

更に更に同行中の竿無し”マダブ”が真横から話しかけてくる。
「ボクて結婚してるジャン!」「子供2人がイマイルノです」「ヒンドゥーの結婚式はスゴクオモシロカタよ」
非常に無邪気だ。
竿も無いので暇なのだろう…一緒に来るのなら借りなさいよ…。

自分の結婚式が面白かったって語る”マダブ”の話を聞きたいのは山々なのだが、
「僕の真横でそんなに話しかけないでくれ~~!魚が逃げるだろ~~!」って気持ちで頭が一杯だった。
しかし「あっち行って」なんて言える訳もなく、ずっと会話を続けるふたり。
こんな状況で大物を釣るなんて”松方弘樹”でも無理だろ。

実際”アタリ”ひとつも感じないまま、9時に切り上げる事に。
結局、魚を釣れなかった代わりに”巨大ヒル”に足を2回も釣られてしまった。

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「魚料理楽しみだ~!!」と、僕の”憂鬱”とは裏腹な宿のガイド”バンダリ”を軽く”受け流し”つつ、朝ごはんを頂いた。

その後、再び”マダブ”と共に”ポタラ”の観光スポットを周る。
中でも”パタル・チャンゴ”と言うウォーターフォールは圧巻だった。
釣りの”ペワ湖”の水が、地下30mに落ち込むのだが、水量がハンパ無い。
ダム決壊の如く水が飛び出していた。

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別名”DEVI'S FALL”と言われ、今から50年前に欧米人デビットの奥さんが誤まって転落死。その後、デビットも後を追うように飛び込んだと言う恐ろしい実話が由縁らしい。

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滝公園内に運試しの池があった。コインを投げて、池中心の円筒台の上に載れば”晴れ男”の称号が当たるという。
ふたりで挑戦したが、”ヒラヒラ”とコインは落下していくばかり。
そもそも今雨が降っている時点でふたり共”雨男”なのだ。

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氷河の水が流れる山峡”SETI RIVER GORGE”には、その水を引いた農業用水路が走っていて、氷を含んだ水は”白い水”となって流れていた。
触るとめちゃめちゃ冷たいのだ。

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観光では”坊主”でなくて良かった。
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by hiro5159 | 2008-07-13 21:24 | ネパール

部屋と坂本と犬と私

朝6時起きで、”ツーリストバススタンド”へ。
世界遺産の町に別れを告げ、”ポカラ”を目指すのだ。

7時に出発したバスは6時間かけて川沿いの山肌を進む。
僕の隣にはポカラ在住のネパール人と生まれて間もない子犬(アイドルの風格)が陣取る。

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バスの席が、少し前に傾いているので非常に疲れた。ズリ落ちるのを堪えながら乗るバスに尻が痛い。
そしていつの間にか、シロが足元でジャレはじめるので踏んづけないように気をつける。

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車窓の景色は”ライステラス”やら”とうもろこし畑”やらで懐古の情が湧いてくる。
さらに家々のオシャレたるものこの上なかった。
基本を赤レンガ造りの家々は、白、ピンク、緑等、カラフルにペイントされ、四角いフォルムが良い味を出している。
その近くの木(何故かしっかりとブロックで囲ってあるのが目立つ)で涼む村の人々。
それが若い男女だと、どことなく和やかな気分になった。

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”ポカラ”に到着するなり”コンニチワ・フェスティバル”が始まる。沢山の欧米人よりもたった1人の日本人の僕の所にわんさか客引きが群がる。
日本人はとっつき易いのかな。
総勢5人に囲まれ、我が我がと皆詰め寄ってくる。
”ペワ湖”レイクサイドの安宿で200ネパールルピー(320円)ぐらいと相場を決めていたが、皆それぐらいの宿は持ち合わせていた。
誰のお世話になるか決めかねていると、ひとりの客引きが片言の日本語で切り込んできた。

「オマエ、オレの宿にしてくれれば、送迎は無料ダゼヨ」
彼の軽快で少しズレた”坂本竜馬風”日本語に思わず笑ってしまう。
彼が気に入ってしまい、ついて行くことに。

タクシーで10分程”ペワ湖畔”を走った。とても綺麗だった。
最近は茶色い川や湖ばかり見てきたので、”ヒマラヤ”からの雪解け水が注がれた透明な湖にはやはり感動してしまう。

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到着したゲストハウス(いや、これはもうホテルだ)”CELESTY INN”には驚いた。
メッチャ綺麗&オシャレ。
オープンして14ヶ月しか経っていないホテルという事で、外観も内装も申し分ない。
久しぶりの”ウェルカムティー”をご馳走になる。
部屋は結局お勧めの”ナイスビュー”3階の部屋になったが、テレビこそ無いが、24時間ホットシャワーとファン付きの清潔な部屋で大満足。

これで1泊300ネパールルピー(480円)は感動もの。
この旅3本の指に入るのお気に入りの宿となった。
オーナーとその甥っ子が中心のアットホームな雰囲気で、男ばかりだったので妙に落ち着く。
オーナーも感じの良い人で、テラスやルーフトップを丁寧に案内してくれた。
屋上からみる”ペワ湖”にも癒される。
しかし雨季で今日は天気も冴えない。
残念ながら、ヒマラヤは望めなかった。

バスの疲れで1時間程休んでから、食事を取る事に。
丁度、スタッフの夕食時だったもんで、僕もお邪魔させて貰う事になった。
サービスにしてくれるとの嬉しいお言葉、少しだけ(じゃがいもの準備のみ)だが、手伝わせて貰う。
ついでに作り方も教えて貰った(超シンプル!)。

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米も炊くところから始めたのだが、たった30分で「ネパール」の定番定食”ダル・バート”が完成した。

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スタッフ専用のキッチンで何故か「いただきますっ!」で始まった食事は楽しかった。
皆、「インド」でも余り見かけなかった(僕だけかもしれないが)右手だけで食べる方法で、器用に口に運んでいく。
僕もトライしてみた。
右手をスプーンの形にして、ご飯&カリーをすくい、口に持っていく。
口に流し込むのと同時に、親指を回転させ、手の平にのっているご飯を口の中に。運び入れるのだ。

なんだか野生に戻った(←何処へ?)気分だった。
手だけで食べる食事がこんなに美味いものだとは思わなかった。
間接よりも直接の方が素直にモノを伝えてくれる。

そもそもこの”ダル・バート”自体、日本人の口に合うように出来ている。
「インド」の様に、ココナツミルク、シナモン、そして大量の塩を使わず、炒めた野菜にマサラと塩と調味料を混ぜただけのシンプルなカリーはめっちゃ美味い。
これで、鶏肉とか入ったら更に美味しく化けるだろう。

”ネパリースタイル”は自分の食器は個人がそれぞれ洗うらしく、あっと言う間(僕もかなり早いほうなのに完全に置いてけぼりやった)に食べ終えたスタッフ達は自ら食器を洗い出す。

実は初めての”ダル・バート”を家庭の味で楽しめたのは良い体験だった。
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by hiro5159 | 2008-07-12 21:08 | ネパール

小さな恋のメロディ~オッサン編~

陽も傾きだした午後のひととき。
少し小腹が空いたので、食料を買いに外へ出ると、客引き中のおじさんに手招きされる。”ハッピーホームゲストハウス”の向かいにはアクセサリーショップがあった。

僕がつい昨日買った、”ヤクの骨で出来たネックレス”をいくらで買ったかを聞いてくる彼。
値段を言うと、「中々いい買い物したじゃないか」と褒めてくれた。
その後、彼の店の商品でも薦めてくるのかと思いきや、話は何故か日本人女性”アケミさん”の話に…。
去年、「ネパール」で出会ってから”Eメール”の交換をしている仲と言う日本人女性”アケミさん”の写メールを次々と見せてくれる彼。なかなかの美人だ。
そして彼女がどれ程素晴らしいかをひたすら説明しだす。
やっぱり日本人女性はここ「ネパール」でもモテモテだ。

彼女との思い出を語る彼はとっても楽しそう。「一緒にダンスしたんだ」とダンスの再現までしだした時には少し”イラッ”ときてしまったが(笑。

話は進み、「是非とも彼女と結婚したい。日本のプロポーズを教えてくれないか?」
と彼はもう誰にも止められない。

僕は日本のフェイマスプロポーズを彼に伝授する事に。
「日本では大抵、この台詞をプロポーズで使うんだ」
続ける僕。
「You should say to her "I want to make misosoup every morning for you."」

わざわざメモを取り、練習を始める彼。

そして僕はどことなく満足気。
”是非とも頑張ってくれたまえ”とばかり意気揚々とその場を後にする。

買い物を済ませ、宿に戻る。
彼の国際結婚の成功を祈願して想いを馳せていると…「あっ!!」と間違いに気づいた。
"I want to make misosoup every morning for you."
では「僕は貴方の為に毎日、味噌汁を作りたい」ではないかっ!

これでは”主婦になって下さい”ではなく”僕主夫になりたい”になってしまう。
これでは話がややこしくなる。

もう、居ても立ってもいられない。
まるで、中学生時代、エロ本をベットと布団の間に隠しておいたら、学校から帰った時に「あんたの布団干しといてあげたから」と親に言われた時の”そわそわ感”。

急いで間違いを正しに、恋する彼に会いにいく。

危うく40オーバーの”ピュアに恋するネパール人”を”ピュアにヒモする5秒前”にしてしまう所だった。
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by hiro5159 | 2008-07-11 21:05 | ネパール

実はノープランで…

今日の僕はノープランだった。
しかし何もそんなに焦る事はない。
旅は出会いの連続なのだ。
それは身に染みてわかってきた。
旅行者と見れば良い人悪い人は別にして様々な人間が話しかけてくる。
そんな”出会い”の流れに身を任せてみるのも面白い。
要は健康な身体と流れに身を任せる柔らかい心があれば旅は楽しめるのだ。

かといって三十路ボンバイエが無垢な気持ちだけで外へ出るのもなんか”マヌケ”な話。”ハッピーホームゲストハウス”のルーフトップレストランで、スタッフに声をかける。「実は私、カトマンドゥの事を何も知らないのです」なんてバカ正直に告白する。

すると”ハリー”は一瞬心配そうな顔になったが(ネパール人はインド人と顔は似てるが、ただ1つ心配性な視線だけは違う。インド人の様に”ギラギラ”しておらず、物腰も柔らかいのだ)、直ぐに地図を持ってきてくれて、街のお勧めポイントを説明してくれた。
「この場所はバスで行けるし、タクシー使うのなら片道で行って帰りは別のタクシーを使った方が安く済むよ。」とか「ここは歩いて行けるから、リキシャは使わないほうがいいけど、もし使うならこの金額で行けるよ」とかわかり易く、僕の立場に立って丁寧に説明してくれた。

「インド」や今までの国だと、ここから「じゃあツアーを組もうか?」という勧誘に入るのだが、”ハリー”の会話でそれ以上は無かった。見返りを求めない親切心には心を打たれる。

そのお勧めが隣町”古都パタン”の”ダルバール広場”と”カトマンドゥ”の”モンキーテンプル”だった。
早速向かう。

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”ダルバール広場”は僕の電子辞書(やり手)の世界遺産カテゴリーで写真が載っていた場所。行きたかった場所だ。
王宮とヒンドゥー寺院が立ち並んでいる。
”スターウォーズ~episode1~”でこんな景色を見た記憶がある。赤レンガの壁に屋根もオレンジ色で、中世へタイムスリップした様な感覚におちいる。

ここで何故か河口恭吾”の”さくら”を口ずさむ”パウワ”と名乗るネパール人学生に声をかけられた。いつもなら無視するのだが、ネパリーに興味があったので、今日の僕は付いて行く。

近くに日本語学校があるらしく、日本語をそこで覚えたのだと言う。「チョットスコシ」を連発するユニークな彼に「キンカクジに行こう」と誘われる。歩いて5分ほどでなるほど”ゴールデンテンプル”に到着。

金箔の鮮やかさは無いが、確かに金色だ。レザーの靴を履いていたら、”皮厳禁”とスリッパに履き替えさせられた。

”クンベシュワール寺院”では”パウワ”曰く”ガールズフェスティバル”が行われていた。

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なるほど”お参り”をしているのは女性ばかり。皆旦那様の”健康と発展”を願っているらしい。「本当しっかり稼いでもらわないとね~」と奥様方の声が聞こえてくる様だった。

その後”パウワ”が先生と呼ぶ人の”タンカ”ショップに連れて行かれた。まあまあ、そんな魂胆だろう。逆に何もなかったらそれこそ”ゲイ”か何かだ(笑。
曼荼羅の仏画を右から左に受け流し、”パウワ”とマンゴージュースを飲んで別れた。

そして”モンキーテンプル”へ。正式には”スワヤンブナート”と言うらしい。

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小高い丘の上に”仏の眼”を描いた、迫力のある”ストゥーパ”や”ゴンパ”があった。そしてここから見下ろす”カトマンドゥ”の街は最高。

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通称”モンキーテンプル”で、サルよりもむしろ犬ばかりの印象を受けたが、愛嬌のあるネパリー小学生を見て、「お猿、お猿」といじると皆はしゃいでくれた。

帰宅後、”ハリー”のアドバイスを聞かないで、タクシーを使ってしまった事を告白。運賃を言って「どんなもん?」と聞いてみると、
「う~ん、ヒロさんはもう払ってしまったんだし澄んだことは良いじゃない」
と優しく諭された。
僕は多分少しボラれていたのだろう。
”ハリー”は本当に良い人間だ。
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by hiro5159 | 2008-07-10 17:26 | ネパール

史上最大ゴキブリと史上最速バス

深夜3時。ホテルのスタッフが起こしてくれる。
4時に”カカルビッタ”~”カトマンドゥ”行きのバスが出るのだ。

しかし昨日は殆ど寝ていない。
バカでかい”コックローチ”が出没した。
中指程の大きさの五木は全然落ち着く素振りがなく、バタバタと羽を広げ、隙あらば飛びまくるのだ。
飛んでいるときの脅威ときたらパンパない。
”パタパタパタッ”と地味な音の割には画はまさに地獄絵図。
ツヤのある黒い物体はあざ笑うかのように旋回し続ける。
僕の方向に飛んで来た時は「ギャー!!」と男らしくない声を上げてしまった。

戦う道具を持ち合わせていない僕はとにかく圧力をかけて外へ逃がす作戦に出る。
地面を這う五木を靴で威嚇。一旦はドアから外へと逃亡させる。

しかし、ホッと息をつく間もなく、いつの間にかカーテンで待機する五木。
靴で潰す度胸もなく、3度目の威嚇をしようとした時、辺りが”パッ”と暗くなる。

停電だ。

おいおい、何もこんな時にっ!

攻撃の術を失い、いつ飛んでくるかもわからない黒い悪魔を”超”意識させられながら横になるしかなかった…そりゃ寝れないでしょ。

そして午前4時発のバスはビュンビュン飛ばした。
5時間も走ると「インド」でずっと苦しめられてきた”肌に纏わりつく湿気”も無くなり、福井の夏ぐらいの陽気だ。やっぱり暑いのは暑いよ。

しこたま眠った後窓の外をぼんやり眺める。
「ネパール」はヒンドゥー教徒もいるので、”自由な牛”はやっぱり見かけた。しかしなんとも豊満な身体だ。雨がバランス良く降るのだろう、緑が豊富な印象も受ける。
また、田圃では”働く牛”もちゃんといた。操っているのは仏教徒なんだろうか。

バスの運ちゃんはゴルゴ風サングラスをかけ、眼鏡の奥の鋭い目線はいつも前方の車を狙っていた。
今までのバスで一番スピードを出していただろう。120㌔は出ていた。もちろん公道で。
渋滞であっても関係ない。一瞬車を降り、見晴らしのいい場所で距離を確認すると再び乗り込み、迷うことなくクラクション鳴らしまくりで追い越し車線へ飛び込んでいく。

なんだかとても頼もしく、そして何よりカッコ良かった。
何故そこまで急ぐ必要があるのかと言う疑問は置いといて、とにかく今日見た全ての車の中で、最速だった。

”カトマンドゥ”に入る直前から大渋滞が始まり、2時間程のロスにあったが、17時間と聞いていた移動は結果15時間で幕を閉じたのだった。
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by hiro5159 | 2008-07-09 19:04 | ネパール

国境今日急遽越え

”ジャイガオン”で少し「ブータン」に触れてみる。

昨日は夜は”エマディッチ”と呼ばれるブータン料理を食べた。

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簡単に言うと、”スパイシー・チーズ・スープ”と言った所。
シチューの様なミルク風味のスープの正体はチーズだった。
そこに青唐辛子の辛さが際立ち、身体が火照りだす。
”辛さが無ければ”…と思った。

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そしてこのゲートをくぐれば、そこはもう「ブータン」だ。
沢山のブータン人がゲートをくぐっている。

インド人や僕ら外国人はビザ無しでは入れないが、ブータン人は自由に「インド」に入国出来るようだ。

これがブータンのやり方。あえて他国の人間に対し高いビザ代と観光料を設定する事によって、自国の伝統を守ろうとしている。プチ鎖国と言った所。

そしてこの街で買い物すると、お釣りに”ブータン紙幣”が混じってくる。
ちなみにレートは「インド」と同じだった。1ルピー=1ニュルトラム。
わかりやすっ!

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凛々しい顔、やっぱり日本人に似てるよね。
折角なんで記念に持って帰ろう。

バス停のブータン人は少し大人びた19歳の学生。

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やっぱり日本人に似てるよね。
そして”糸井重里”にも似てるよね。
やはり英語が堪能なブータン人…島国日本と言えども英語が苦手な自分が恥ずかしい…。
バスは”ブータン国境”から一気に”ネパール国境”へと走る。”シリグリ”から乗り継いで”パニタンキ”へ。

バスの席は行きと同じ4番だった。「日本」で4なんて縁起の悪い数字だが、この”インドバス”でも例外ではない…って言うかウルサイのだ。バス中央の乗り口の少し前の窓側なのだが、添乗員が乗り口でずっと待機しており、お客を乗せる時、そして降ろすとき、運転手にバスのボディを叩いて合図する。その叩く部分が4番席のすぐ外側なのだ。
さらに何故だか(本当に謎)、前の車を追い越しにかかった時にも何故か”バシッバシッ”と叩く。抜くのは運転手でアンタは関係ないだろうって思うのに…。
しばしば横っ腹に振動を感じながら、暑いのも手伝って眠るに眠れない。
外れ席は旅行者の宿命なのだ。

”パニタンキ”に着くと直ぐに”リキシャ”に「ネパール?」と声をかけられる。もう夕方6時前だったので、今日中に抜けれる様なので助かった。ネパール側からの”カトマンドゥ”行きのバスが早朝4時の1本のみというのは知っていたので、今日抜けれないと1日のロスになってしまうのだ。

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「ネパール」初日はたった一人の晩酌。久々のビールだっ!!

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マトンをツマミに煽った。めちゃめちゃ美味いっ!
ネパール人、酒もタバコも普通にやるし、肉も食べる。
隣の席のおっちゃんが酔っ払って、自分の手のひらにボールペンで自分の名前を書き出した。
”おいおい、自己紹介なら相手の手に書くだろう”と思っていると、気づいたらしく僕の手のひらに名前を書き直す。

改めて「いい国だな~」と思ってしまう。
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by hiro5159 | 2008-07-08 01:05 | ネパール


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